滝口康彦 ランキング!

滝口康彦 切腹 [DVD]

個人的な話で済みません。昔、小学校低学年の頃、近所にチャンバラ好きの子がいて、その子は何故か「切腹するぞ、竹光で」と良く言っていたのです。それ以来しばらくの間、切腹は正式には竹光でするのものだとばかり思っていたのですが、大学生になって初めてこの映画を名画座で見て、思わず身を乗り出しました。あの子はこの映画に影響されていたことが初めて判ったからです。しかし、そんな小さな子供にこの映画を見せるのは絶対にいけません。件の場面の凄惨さは、そこに被さる武満徹による前衛的で不気味な琵琶の調べと共に、生涯、抜き去ることができないほどの衝撃を脳裏に焼き付けてくるからです。その衝撃はやがて、理不尽な武家社会そのものへ、そしてひいては現代社会にもありとあらゆる場面に存在している人間の当たり前の情を無視して「うわべだけを繕おうとする」仕組みや制度に対する激しい怒りへ駆り立てることになります。小林正樹の演出は、余分な説明を一気に削ぎ落とす一方で、自分が必要だと思った場面は物語の流れが緩慢になることなどおかまいなし、これでもかと言わぬぐらいしつこく描き込んでくる粘着性のもので、正に木下恵介直流、日本映画の王道を行くものだと感じます。1963年のカンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞したのも当然、これ見ずして日本映画を語る無かれと言いたい、日本が世界に誇る映画史上の傑作です。 切腹 [DVD] 関連情報

滝口康彦 非運の果て (文春文庫)

マイナーな作家だが著書は映画化されたりして主題はいつも骨がある、もっと評価が高くても良い作家のひとり。 非運の果て (文春文庫) 関連情報

滝口康彦 上意討ち -拝領妻始末- [東宝DVDシネマファンクラブ]

この映画を初めて観たのは学生の頃、池袋の文芸座で企画された小林正樹監督特集でのオールナイト上映であった。その時上映されたのが『切腹』『怪談』『上意討ち』の強力無比の3本立て。既に切腹は観ていた。期待するなという方が無理である。睡魔の不安もあったが問答無用の面白さがこれを払拭。終映後は期せずして観客から盛大な拍手が起きた。オールナイトでの映画鑑賞はこれが最初で最後になった。この作品の面白さは伊三郎(三船)の心境の変化にある。最初は拝領した“いち”を疑心暗鬼するが以外にも良妻で、屈辱の身でありながらも嫁として健気に尽くす姿を見るにつけ、伊三郎は何かと配慮するようになる。それは彼が笹原家の婿養子として長きに渡り忍従を強いられてきた者だからこそ解る弱者の立場で “いち” にかつての自分と同じ境遇を見たのだ。事の発端となる大奥も、特殊な状況であろうとも殿を諌める信念。そして生まれた我が子であっても未練なく諦める強い決意が伊三郎を覚醒させる。彼女の出現は婿養子として甘んじて生きてきた伊三郎に意識変革をもたらし、それは笹原家よりも個人を尊重する姿勢となって現れる。“いち”にしても最初から大奥ありきで事を勧めた実家の父(浜村純)と違い、笹原は払い下げとなった自分を嫁として受け入れ、大事にされた事でいつしか本当の親子のような関係が出来上がっていた。彼女を1人の人間として大切に扱い庇護したのは実家ではなく笹原家だったのだ。従って大奥に戻す厳命が下っても伊三郎は断固としてこれを拒絶する。親戚一同との交渉でも笹原家を憂慮する与五郎を見るや烈火の如く怒る。それは威厳を取り戻した伊三郎本来の姿である。こうなると藩も黙ってはいない。策略によって連れ戻した“いち”を登場させ、2者択1の卑劣な手段に打って出る。しかし彼女は最期まで与五郎の妻として死を持って添い遂げる。実は側用人はこの“いち”の存在を内心恐れていたのではないか。あの婿養子の笹原がここまで藩に逆らうとは予想外で、彼女がそこまで彼らを変えてしまうとは思っていなかったのだ。彼女は単に笹原家の嫁ではなく自信と勇気を与え、体制に甘んじる事なく正義を貫く信念を持たせるほどの影響力を秘めていた。このままでは大奥に置いても何をしでかすか解らない。かといって笹原家に戻せば藩の信用を失う。いやそれ以上に笹原に賛同する者や支援者が現れたら収拾が付かなくなる。彼女は危険人物なのだ。そう判断した側用人が人質として彼女を精神的に追い詰め自害させる方向に持って行った。そんな捉え方もできる。【雑感】中々どうして実に奥の深い映画である。主演は三船だが本当の主役は司葉子だろう。彼女の存在無しでは成立しない映画である。この作品を観ると、どうしても同じ監督作品として『切腹』と比較してしまうのは致し方ない。共に主人公の義憤が体制側の理不尽な仕打ち対して爆発する展開は似ているが『切腹』の持つ意外性と衝撃度は相当なものだ。個人的には『切腹』を上位に推したいのだが、これはもう好みの問題になる。 上意討ち -拝領妻始末- [東宝DVDシネマファンクラブ] 関連情報

滝口康彦 落日の鷹 (講談社文庫)

滝口さんの話は少し難しいけれど、引き込まれる文体が魅力です。竜造寺とそれを乗っ取った鍋島の複雑な絡みが様々な展開で繰り広げられます。滝口ファンならばもちろん、九州の大名について少しでも興味のある人は読んで損はないと思います。 落日の鷹 (講談社文庫) 関連情報

滝口康彦 一命 (講談社文庫)

映画『一命』の原作である「異聞浪人記」を含む全6編を収録。その殆どが武士の悲哀をテーマとしているため少々一本調子な感はありますが、いつの世も強き者により黙殺される“弱き者達”の想いがひとつひとつ丁寧に描かれた、優しく、そして哀しい短編集です。他の方のレビューでも書かれてあるとおり、どの作品も秀作揃い。なかでも私が特に好きだったのは、「高柳父子」。主君が死ぬと家臣も「追い腹」を切ることが正義とされた時代に、高柳織部は最後までその無意味さ愚かさを訴えながらも、周囲から不忠者と罵られ、腹を切らされる。だがそれからわずか十年後、幕府により「追い腹」禁止令が出されると、途端に世間は掌を返したように追い腹を非難しはじめる。主君の死に際し追い腹を切ろうとする織部の息子外記を、織部に腹を切らせた人間達がその同じ口で平然と非難するのである。権力が方針を変えると、人々も平然とその意見を変える。これは一体どういうわけか。この作家は、決して「権力」の残虐性だけを訴えているのではない。それよりもっとタチの悪いもの。権力や集団の力を笠に着たときの「一人一人の人間」の無責任さ、愚かさ、残虐さを描いているのである。江戸時代も、戦中も、戦後も、そして今も変わることのない、日本人に特に強く見られる悪しき性質である。作品の最後、空から降る雪の描写がとても美しい。人間がどうであろうと変わらずに降る雪は、権力とその名の下に平然と弱者を切り捨てることに何の疑問も抱かない人々の冷たさを象徴しているようでもあり、またその大いなる力に踏み躙られた弱き者達への鎮魂のようにも見える。映画『一命』のラストで津雲半四郎の上に降る雪も、高柳父子の上に降る雪も、おそらく同じ雪である。弱き者達の上に、ただ深深と、雪は降る。 一命 (講談社文庫) 関連情報




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