桜井鈴茂 ランキング!

桜井鈴茂 終わりまであとどれくらいだろう (双葉文庫 さ 29-1)

人と人が出会う、すると物語が生まれる。だから、多くの小説では人と人とが出会い物語がはじまる。出会いは物語の最も基本的な導入だ。しかし、桜井鈴茂は疑う。「そんなに簡単に人って出会わないよな」と。「終わりまであとどれくらいだろう」は“すれ違い”の物語である。東京の街で、6人の男女が、それぞれに大なり小なりの悩みを抱えながら一日を生きる。そして彼らはすれ違う。正確にいえば、彼らは全く出会わないわけではない。出会って会話もするし、お酒を飲み交わしたりもする。しかし、その出会いは新たな物語の導入では決してない。出会いによって彼らの抱える問題はなにひとつ解決しないし、希望が生まれることもない(ほんの少しだけ希望が生まれる予兆はある。でも、結局は日常の洪水のなかに埋もれていってしまう)。彼らは窒息しそうなほどの息苦しさのなかでなんとか時をやり過ごす。結局、彼らの出会いはすれ違いの延長でしかない。彼らのすれ違いを、そして閉塞と倦怠を、交響曲のような綿密さで構築し結晶化した作品、それが「終わりまであとどれくらいだろう」だ。大きな事件が起きるわけではない。“彼ら”の悩みも、客観的にみればたいしたものではないのかもしれない。でも、息苦しい。その息苦しさがぼくにはわかる。つまり、これが現実であり、世界の様相なのだ。そして、桜井鈴茂はそんな息苦しさからは簡単には解放してくれない。きっと明日もまた、彼ら=ぼくらは同じように悩み、同じように時をやり過ごすだろう。ぼくらはいつだって息苦しい。調べたところ、この作品はどの文学賞を獲っていないらしい。文学賞を獲ることがどれほどの価値なのか、ぼくにはわからない。しかし、この作品は日本文学界の大きな収穫だと断言できる。この作品に賞を与えずしてどんな作品が賞に値するというのか。信用すべきはこの作品に賞を与えなかった日本の文壇ではなく、「すごい小説が読みたい」と常々思っている市井の読者たちだろう。だから、とにかくこの作品を手にとってほしい。“すごい小説”がここにあります。 終わりまであとどれくらいだろう (双葉文庫 さ 29-1) 関連情報

桜井鈴茂 どうしてこんなところに

この作者の作品はこれが初めてでしたが、新聞の書評に惹かれて購入しました。何の気なしに読み始めたら、最後まで一気に読んでしまいました。つまりかなり面白い小説です。主人公が妻を殺してしまい、全国を逃げ回る中でのいろいろな人たちと交流するプロセスを複数の視点から描くというシンプルな構造なのですが、文章も読み易く、視点や人物描写も通りいっぺんでなくユニークなので、ストーリーにぐいぐい引き込まれていきます。暴力的なシーンもあるのですが、近頃の小説にありがちな安易に過剰な表現でないところも交換が持てます。ただひとつだけ気になったのが、前半と後半で文体というか文章のトーン、温度のようなものがちょっと違うような印象はありました。すごくざっくり言うと、「前半はハードボイルド、後半は村上春樹を思わせるトーン」なのです…。でも、疾走感があって、最初に書いたようにとても面白い小説ですので、個人的にはお薦めです。 どうしてこんなところに 関連情報

桜井鈴茂 へんてこな この場所から

たかが文学、でもそれを絶対に必要とする人たちがこの世界には、たぶん、わずかにだが、いて、彼らにとって、文学は薬でもあるが、厄介なことにその薬には毒が仕込まれていたりもする。この作品もそうだ。言ってみりゃ毒薬、またはボディー・ブロー。でも、ページをめくる手をどうしたって止めることができない。毒だとわかっているのに、これまた厄介なことに身体は切に欲している。一体、どういうわけだ?読み終わったら最初のページに戻り、塞ぎ込むことなんてわかりきっているのに、読みなおしてしまう。それはたぶん、ぼくがこの作品を通じて、著者と共犯関係を結んでしまったからだ。合言葉はひとつだけ、「くそったれ!」だ。まったくなんて憂鬱で、とびきりピュアな世界に引きずりこんでくれたものか。●2011年3月のわたしたち夫婦は 先の震災で多くの作家は口をつぐまざるを得なかっただろうことは、想像に難くない。 そんな状況のなかで、この著者はまさにぎりぎりの場所から、 自意識も美意識もレトリックも全部投げ捨てて、 作家である、ただその責任のみを引き受け、ぎりぎりの言葉を吐いてみせた。 たかが文学のくせに、鳥肌を立たせないでください。●長い夜 夜の永田町にそびえる無言の建築群こそ、なによりの力だ。 それはなにかの象徴なんかではなく、具体的で強固な力だ。 力は沈黙のなかにあり、その沈黙がぼくらの怒りを骨抜きにしてしまう。 “彼ら”が彼を(そしてぼくらを)ささやかにでも罵ってくれるのなら、 きっと手にしたピストルを“彼ら”に突きつけてやることもできるだろう。 だが皮肉なことに、“彼ら”はいつだって微笑を絶やさない。 怒りは鬱積するばかりで、まったくもってへんてこな場所で爆発してしまう。 へんてこな この場所から 関連情報




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