原子力ムラ ランキング!

原子力ムラ [ カジメイク ] レインポンチョ ネイビー フリーサイズ [ 品番 ]1240

使いやすいが頭が入りにくいのが残念だと思います。カメラを首からさげても手が自由に動かせるのが良いです。 [ カジメイク ] レインポンチョ ネイビー フリーサイズ [ 品番 ]1240 関連情報

原子力ムラ 「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか

3・11以来、数多の原発本が上梓されてきたが、本書のように近代初頭以降の歴史的背景を視野に入れた浩瀚な社会学的研究はあまりみられないのではないだろうか。それも、フ福島県出身の大学院生である著者が、数年かけて現地調査を行い、原発事故の発生前にすでに修士論文としてこの研究を提出していたから可能になったことである。日本の大地が破壊され、汚染され、多くの人が故郷を追われて初めて、この若き著者の論考が広く世に知られるようになったとしたら、非常に皮肉なことだ。 まず本書の射程の広さについてだが、フクシマの原発問題を、戦前・戦中の外部への植民地政策の延長線上に位置付けることが特色だ。明治以来、福島が日本有数の石炭の産地として日本の産業を支えたこと、そしてウランを産出したため、戦時中当地で原子力爆弾の開発が行われたといった事実が示される。そうした中央と地方の関係は戦後になっても多かれ少なかれ同種の構造を保ち続け、「東北のチベット」と呼ばれた福島の双葉郡が、戦後も中央もしくは都市部の国内植民地として戦後成長の源泉となるエネルギーを供給してきたという視座が提示される。福島にしても沖縄にしても、自国内に植民地があるようなものだという実感はかねて持っていたが、歴史的背景から理論的に説明されると非常に説得力がある。明治以来の植民地帝国主義が1945年に破綻してからも、戦争から経済へ、外地から内地へと舞台を移して、構造的暴力の構図は存続していたのだ。  本書がとりわけ優れているのは、「強欲、強引な国策・電力会社・地元権力vs抵抗する地域社会・社会運動」といった単純な二項対立の図式に与しないことだ。むしろ地方の側も、積極的に都市化、近代化への欲望を持ち、原発を積極的に(ジョン・ダワーの言葉を借りて)「抱擁」していたとされる。地方の原子力自治体という意味での原子力ムラと、原子力業界という意味での原子力ムラの利害関係が一致し、原発立地は強力に推進されていったのである。経済的依存のみならず、なでしこリーグに参加していた東京電力マリーゼやサッカーのJヴィレッジに加え、「アトム寿司」や「ブックス・アトム」など、日常生活の至るところに原発がごく自然な仕方で食い込んでいる奇妙な文化状況があるという。しかも今回の人類史上稀な過酷事故が起こってからも、現地の人々は未だにまた原発で働くことを切望しているという報告がなされる。 これはよく考えてみるとぞっとするような事態である。支配とは、支配される者(臣下sujet)が、自ら主体(sujet)として積極的にそれを支えるようになって初めて完成するということだろうか。 ただ表面に現れている状況だけを見るのではなく、その歴史的経緯から問題の根深さを探っていく。本書からは、原発問題にとどまらず、本当に深く考えるとはいかなることかを学ぶことができる。 透徹した問題意識と徹底した現地調査に裏打ちされ、文章も読みやすいが、唯一物足りないとしたら、今後我々が進むべき方向が示されていないことだろうか。もちろん地方と中央の善悪二元論の否定には賛成だし、まず当該地域の歴史と現場を正確に把握することが重要なのであって、解決策まで提示するのは社会学者の仕事ではないのかもしれない。しかし本格的な脱原発派の中には、国が動かないことには限界はあるにせよ、自然エネルギーを産業として地方に根付かせ、地域社会に生きる人々の生活を確保しようという構想もある。もちろんフクシマの事情を誰よりもよく知る著者としては、この問題に簡単な解決策などありえないということを一番伝えたかったのかもしれないが、著者がたびたび口にする「希望」のより具体的な道筋が知りたいと思った。彼はどのような博士論文を書くことになるのか、今後も楽しみにしている。 「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか 関連情報

原子力ムラ 日本はなぜ脱原発できないのか: 「原子力村」という利権 (平凡社新書)

新聞などに発表した記事を再構成し、大幅に加筆したもの。その構造ゆえに、記述の視点がやや拡散しているのが惜しまれる。だが、本書はまさに次代に残すべき労作。中でも、2013年12月のエネルギー基本計画のパブリックコメント1万8711件をすべて読み込み、経済産業省が発表しなかった賛否を脱原発94.4%、原発維持・推進1.1%とたった1人で手作業で分類した苦労(第3章)には頭が下がる。分類をしなかったのは明らかに政府の手抜きであり、安倍政権は脱原発の空気の盛り上がりを恐れたのだろう。必読は第6章「買われたメディア」。電力会社によって、メディアやオピニオンリーダーたちがいかにして囲い込まれていったかを実名を上げて例示している。朝日新聞のOBも例外ではない。「原子力村」は電力会社、産業界、官僚、政治家、学者だけでなくメディアまでにも広がっている。その闇は深い。我々はその事実を知らなければならないと思う。 日本はなぜ脱原発できないのか: 「原子力村」という利権 (平凡社新書) 関連情報

原子力ムラ 原子力ムラの陰謀: 機密ファイルが暴く闇

自殺(?)した動燃・西村次長が残したたくさんの内部資料を使って当時の関係者に迫り、動燃(ひいては原子力ムラ)に染みついた隠ぺい体質をこれでもかというほど明らかにする書物。原子力ムラの人々は下手するとオウム真理教みたいな、まともに相手にできない人たちであるというのがよく分かる。日本の組織も徐々に透明化されているが、原子力ムラは役所や電力会社も含め、もっとも隠ぺい体質が残っているということだろう。 原子力ムラの陰謀: 機密ファイルが暴く闇 関連情報




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