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高村薫 空海

 「佐伯真魚」という名前を聞いて、それが誰のことであるのかを知っている人は余りいまい。だがそれが「空海」のことであると言われたなら、誰しもが平安仏教を代表する人物、或いは三筆の一人であるなどの知識を持ち合わせてもいることだろう。 だがそれだけで、空海を理解したことになるだろうかとの問いかけが垣間見える作品である。サスペンス小説を得意とする高村薫氏による最新作は、等身大としての空海に出会いたいとの渇望に始まる。 今からそう遠くない20年の昔、1月17日の早朝に日本列島を襲った地震はこの国で普通の生活を営み暮らすごくごく普通の人々に対し、バブル崩壊の上に更なる試練を課すこととなった。 崩れ落ちた瓦礫の山を目の前にして或いは呆然と立ち尽くし或いは離ればなれとなった縁者の姿を探し求める者の姿が、冷静な筆致で知られる高村氏すらをも容赦なく、救いを求める衆生の一人へと駆り立てる形ともなった。 その光景はそれよりも1200年を遡る昔、経済の失速と共に都を襲った一連の怨霊騒ぎに怯える平城京に暮らす人々の姿に重なりもする。誰しもが身に覚えのない災厄に見舞われた時に口にするのは、この世には神も仏もないものかとの恨み言だろうが、それは時を経た今でも変わりはしない。 そうした衆生の姿は仏の道を訪ね求める青年僧空海の姿にも重なる。何よりも等身大の空海が意図したのは、仏道を求め仏の言葉を知れば知るほどに衆生の中へと戻っていくことに他ならないとの小さな事実だけだった。 南都仏教が教学研究に重きを置いていたこととはまるで対称的であり 、それが以後の日本仏教にとっての方向性を示すものだったことを空海は自然に行っていく。 『三教指帰』や『風信帖』そして東寺の立体曼荼羅を作った人物などとの基礎知識は持っていても、それが生身で等身大の空海本人の姿であるとはいえず、実際は霧に包まれたものでしかなかったことを高村氏は全国にある空海の足跡を訪ねることによって、改めて浮き彫りにしてもいく。 空海が全国各地を歩き、卓越した学力と語学の才を通じて仏教の扇でもある密教と出会ったことは、高村氏がこれまでの執筆活動を通じて接してきた様々な人間の姿を炙り出してきた事跡と重なりもする。 実際の空海の姿を求める高村氏の旅はこれからも続いていくことであろう。  空海 関連情報




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