いわゆる戦争三部作”断作戦”、”龍陵会戦”、”フーコン戦記”を読んでいたので、作者の人となりを知りたくて読んでみた。古山は、朝鮮新義州の裕福な医師の家に生まれたが、人生の最初期に既に持って生まれた反抗心のような心情で失敗を続けた。ようやく旧制三高に入るも退学となる。この辺りの生活は、安岡章太郎の”悪い仲間”でのモデルとなるが、やがてそれが彼を苦しめる事になる。その後戦争に取られるも弱兵として終始したのは小説の通りだ。漠とした反戦の気持ち、人を殺したくないという気持ちもあったが、心ならずも捕虜虐待(ビンタをしただけだが)でC級戦犯となってしまう。復員後は生活のために編集者となる。知己の江藤淳に勧められて小説家を再び志し、芥川賞を戦犯体験を書いた短編でとった時は50歳だった。そのあと、いろいろな小説を書いたが戦争3部作に至るのは人生の晩年だった。戦争体験から得た、人生は努力なんかじゃない、運がすべてだ、との思いが人生を覆う。彼は、表紙にある通り本当に紅顔の美青年で能力にも恵まれ、家も裕福だったがなぜか人生ではうまくいかない。安岡が先に小説家として成功を遂げたのもつらかったと思う。その出世作が自分との交流を書いた物だから、なおさらだ。地べたを這い回る一兵卒の視線を貫いた彼の書き方も、中年期の苦しさでよりいっそう確信が強まったのだろう。でも、心底書きたかった事を書き評価もされて、本当に良かったと思う。従軍慰安婦の事も短編”セミの追憶”で”戦争に良いも悪いもない”という視点で、自分の体験をきちんと書いた。この伝記も彼の人生をよく調べて書いてある。 戦争小説家 古山高麗雄伝 関連情報
万年一等兵であった古山高麗雄が自らの体験を一人称で綴ったノンフィクション小説。古山氏は軍から見ればのろまな兵士であったかもしれないが、それゆえにわれわれ一般人が共感しやすいのではないかと思う。戦場の真実を描くというよりは、戦後、兵士たちがどのように自分たちの思いを整理しているのかということを中心に描かれており、古山氏が龍陵で戦った元兵士をたずね、戦争に対する兵士たちの思い、そして古山氏自身の思いが描かれていく。戦争を肯定も否定もしない古山氏独特の戦争小説である。 龍陵会戦―戦争文学三部作〈2〉 (文春文庫) 関連情報
古山高麗雄、その名前を耳にすればなつかしい気がするけれど実際に作品に触れたことがなかった。きっかけはNHKのドキュメンタリー。そこでは第二次世界大戦中の中国雲南地方の泥沼の戦いを古山の作品を中心に取り上げていた。「ああ、満州でもなく、南方でもなくこんなところにもこんなむちゃくちゃな戦争があったんだ」と思った。そんな番組があったのは古山が2002年に亡くなったからでもあったのだろうか、享年81歳だった。彼が雲南の戦争を題材に書いた長編が3つ。その第一作が本書「断作戦」だ。ぎりぎりの戦争の現場とそれを回想する現代の生存者、微妙にからんだ時間軸、ときどきリフレインされる思い出話。すべてが語気やわらかく淡々と語られる。そこには明確な反戦や、懐古趣味はない。思い出にとまどう、過去の意味づけや否定もできない経験、それが淡々と語られる。古山自身のあとがきが彼の思いをもっともよく表現している-「戦争とは何であったか?国とは何か?私は、そういう問いにはうまく答えられない。しかし、そういうことに答えることができる気でいる人、私と同じように答えられないと思っている人、そういうことに関心もない人にも、ひとしく親しんで生きていきたい。」-短いがあとがきの傑作だ。心にしみた。 断作戦―戦争文学三部作〈1〉 (文春文庫) 関連情報